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えんぴつころがし2013.09.06
「勘違い」する環境と勢いが、人をプロにしてしまう(こともある)
今回は「得意なこと」について考えてみました。
自分がなんでコピーライターになったのか。
それは、文章を書くことが得意だ(と思い込んだ)から。
でも、この「得意」って、
実は「2つのステップ」を踏むんじゃないかと思うようになりました。
実は「2つのステップ」を踏むんじゃないかと思うようになりました。
これは教育と社会...みたいな、わりと真面目な話につながっていく予感がするので、
その予感を頼りに、つれづれと書いてみます。
まず第1ステップ。
これは自分の「内側」の問題。
スポーツ、計算、語学、料理、工作...人は無数のことがらと出会い、
その中の項目を比較して、自分が上手に、楽しくできることを見つけ、
それを「得意なこと」として認識しはじめます。
次に第2ステップ。
今度は自分の外側にそれを持ち出す段階です。
自分の内側でのみ行われていた比較は、他者との比較へと推移します。
つまり、自分の「得意なこと」は、社会の中でも通用するのか?
他の人よりも上手に、楽しくできるのか?
その自問自答と研鑽を超えると、やがて職能になったりするわけです。
僕の場合、「第1ステップ」は、
間違いなく中高通じて、「他に特にできることがなかった」
ということが大きく起因します。
ずば抜けた文才があったわけではなく、
他の事が全然できなかったからだなあと。
でも、「自分は文章が得意なんだ!」
という思い込みがないと、正直やってられない思春期でした。
その結果、膨大な時間を書くことに費やしました。
結局、浪人して多摩美とか言う大学に入るわけですが、
ほぼ作文だけで入試を突破してます。
この辺りから勘違いに拍車がかかります。
文章で美大に入る=その時点で、
「第2ステップ」がおかしなことになるんです。
「第2ステップ」がおかしなことになるんです。
だって、他者との比較をしたら、
ほぼ全員が絵を描いたり、彫刻を彫ったりする人たちです。
当然、文章を得意にしている人がほとんどいません。
自動的に「第2ステップ」は完了してしまうわけです。
で、この勘違いがずーーーーーっと、継続して、
結局、コピーライターになり、
書くことを軸としたまま会社までつくってしまった。
ある意味、非常におめでたい人が僕だと。
そういうわけです。
でも、この「2つステップ」って、
キャリア教育とかを組み立てていく上で、
けっこうシンプルで、明解な視点になる気がします。
まあ、あくまでも気がするだけなんですが。