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えんぴつころがし2013.03.28
フリーランス、社長になる。
はじめに
こんにちは。Rockaku代表の森田です。
2012年の4月にフリーランス=個人事業主を辞め、会社をつくって1年が経とうとしています。
"代表取締役社長"などという肩書きを持ちましたが、この1年、何かを取り締まった記憶がありません。
取り締まりを受けた記憶は3回くらいあります。
とりあえず、そんな節目なので、"元フリーランスが人を雇い、
組織をつくる"ということについて、もろもろ、思うところを書いてみようと思います。
参考資料...とある(元)フリーランスの"スペック"
まずは、話をクリアにするために、
このストーリーの主人公たる僕のスペックを軽く説明しておきます。
▼職歴
・編プロで雑誌編集:1年弱
・旅行代理店系の制作会社で編集職:2年
・小さな広告制作会社でコピーライター:2年
・嫌になって脱走した後に独立
・ソロのフリーランス4年+スタッフ付きで1年+会社代表1年
▼独立した時のステータス
・年齢:29歳
・辞めた会社からの引き継ぎ顧客:0
・資金:ほぼ0円
・インフラ:iMacとプリンター
・賞歴など:まったくなし
▼フリーランス歴
・2007年4月:なし崩しに独立
・2010年9月:現社員まるやまがインターン→バイトに
・2011年4月:まるやま大学卒業→常勤スタッフに
・2012年4月:会社設立→フリーランス終了
仕事量に"おぼれる瞬間"がくる
うーん。あれだ、今、こうして列記していくと、列記すること自体が自虐にしか思えませんね。
こんなスペックでよく独立とかしたよね。
で、まあ、フリーランスって、ある種、会社組織からドロップアウトした人種なわけで、
そいつが人を雇い、会社を再構築するというのは、半ば本末転倒だと思う人も多いみたいで、
職種によるけど、引退までソロで動き続けるフリーランスも少なくはないみたいですね。
ただ、フリーランスとしてそれなりにがんばっていると、
どこかで一人ではどうにもならない仕事量を抱えたりする時期が訪れます。
(訪れる保証はありませんが)
そのオーバーフローの瞬間、僕がどんな"ワラ"をつかんだか?
というのが、この話の発端になるわけですよ。
自分がやらなくても仕事が進む"感動"
僕がつかんだのは、当時大学3年生終盤だったまるやま(現・正社員)でした。
彼女は元々、ケータリングイベントのアシスタント募集をしたとき、いの一番に応募してきた人です。
もともと、それだけの関係で終わるつもりだったんですが、現場での動きも良くて、気も利くし、
何となく、飲み会とかの度に手伝いに呼ぶようになって、そのままインターンとして来てもらうようになりました。
僕はその時点で、会社を辞めて3年以上が経っています。
誰かに仕事を手伝ってもらうことがとても新鮮でした。
どんな雑務であれ、自分1人でやるしかない。
つまりは、自分がやったこと以外は何も進まないのが、ソロ・フリーランスの宿命です。
ところが、まるやまくんがいることで、自分がやってない仕事が進むわけです。
たったこれだけのことに、いちいち感動していました。
ただ、この時点で僕は、まるやまくんを雇おうなんてつゆほども考えていませんでした。
「就活はやめるなよ」と、無責任なことをよく言ってました。
が、そのままRockakuはぐいぐい忙しくなりました。
そんな中で、インターンの域をはみ出すような業務をやってもらう機会も増え、
そのままアルバイトスタッフに昇格。気がつけば、いないと回らない存在になっていて、
大学卒業が近づいたとき、僕からお願いして、そのままRockakuに入ってもらうことになりました。
そこに誕生するのは"キャリア0の管理職"
で、僕はこの時点で会社員5年+フリー4年のキャリアを持つコピーライターだったわけですが、
まるやまくんを迎えるに当たり、経験0年の管理職へ強制クラスチェンジされました。
32歳。経験や現場感覚はそれなりに積んできたつもりでした。
でも、人をフルタイムで動かし続ける管理能力なんて元々持ってないんです。
だって、やったことないんですから。自慢じゃないですが、
会社員時代、部下や後輩がいたことなんてありませんでした。
つまり、そこに誕生するのは、キャリアを積んだフリーランスでありながらも、
まったくキャリアのない管理職。
これはけっこう大変なことです。
レベル30くらいの戦士を、意味もなく魔法使いに転職させるような。
HPは高いけど、魔法は全然使えない。みたいな。
(ドラクエⅢってそんなシステムだったかな)
とにかく、仕事の振り分け加減が全然わからない。
稼働バランスが滅茶苦茶で、自分だけが忙しくて、
まるやまくんが暇そうに(申し訳なさそうに)していることもザラ。
何をさせればこの状況が改善できるかとか、まったく設計ができませんでした。
「明日はなにしますか?」
1日の終わり、帰り際にまるやまが言う、期待感を込めた言葉が、
正直、けっこうなプレッシャーでした。
"綿密な把握"と"雑な勇気"
で、このままだとらちがあかないと考え、個人の手帳ベースだった進行管理を全てGoogleに移行しました。
Rockakuの仕事はとにかく案件数が多いので、一覧性を重視して、Googleカレンダーではなく、
スプレッドシート上に縦軸カレンダーをつくり、各自の動きを書き込んでいく方法を採用。
これにより、仕事量の把握と共有が飛躍的に改善されました。
(※2014年8月よりカレンダーに移行しています)
把握できたら、今度は分担です。
フリーランスは1人でなんでもできることが求められます。
が、それ故に、なんでも1人でやらないと気が済まない性分の人が多いように思います。
僕もたぶんそうでした。
でも、僕はその考えをわりとばっさり切り捨てました。
重要なのは少し大雑把に仕事を丸投げできる"勇気"です。
この"勇気"の源は、僕のキャリアのほとんどが、
"無茶振り"をこなすことにによって培われてきたからです。
(そもそも、フリーランスになるような人って、基本は"無茶振り"で育った人ばっかりだと思いますけども)
自分が無茶振りをこなすことで、ここまで来たんなら、無茶振りに多少のレギュレターをつけて、
丸投げすることはそんなに難しくはありませんでした。
その結果、まるやまはどんどん現場に出るようになり、僕の作業量にも余裕が出るようになりました。
"聖域"の上に"スタッフの実績"をつくれるか
ここからとても大切な話を書きます。
や、ここまでもけっこう大事なことを書いてきたつもりですが、
ここからは特に大事だと思います。
それは「スタッフの実績をつくれるか」です。
スタッフを入れたフリーランス、または、そのまま法人化した元フリーランスの命運を決めるのは、
この1点と言っても過言じゃない気がします。
ある程度キャリアを積んだフリーランスにとって最大の資産ってポートフォリオだと思うんですよ。
僕自身、ポートフォリを使って仕事を増やし、仕事をしてはポートフォリを強化することで、
なんとかやってきた人間です。
そんな人間にとって、ポートフォリオは自分そのものであり、ある種の"聖域"だったりします。
でも、そこにスタッフ=自分以外の人間の仕事が入ってくるとしたら?
僕はこの点が最初、ものすごく違和感があって、どう処理して良いかわからなくなった時期がありました。
でも、まるやまと日々、膨大な仕事をこなして行く中で、徐々に、"自分の仕事""自分の実績"という、
ちょっと意固地な感覚がほどけていきました。
きっかけは、最初にまるやまに複数のページ担当を振った、
ある会社の新卒採用パンフレットが刷り上がったとき。
そこには、成長の証としての"まるやまの実績"がありました。
なんかちょっと善人ぶった言い回しかも知れないですけど、
もしも、そこに、スタッフの成長があるとしたら、それが最大の"自分の実績"だし、
"Rockakuの実績"じゃないですか。
なにより、スタッフ自身が自分の武器を持つようになる。
モチベーションも上がるし、仕事にも積極的になる。
"自分が何者なのか?"という問の答えを少しずつ獲得していくんです。
かつての自分がそうであったように。
そんなこんなで、僕はあっさりと"聖域"のカベをすり抜けました。
これができていなかったら、今頃は、またひとりぼっちに戻って、
粛々と仕事をしていたかも知れません。
最後に..."奇跡の割り当て"はシェアすることで増幅する
ある程度の年数、フリーで仕事をしてみるとわかるんですが、
仕事が発生する過程の多くには、"偶然の積み重ね"が介在します。
いわゆるミラクル="奇跡"です。
たまたま居合わせたイベント会場で、たまたま目が合った人と名刺交換したら、
たまたまその人がコピーライターを探している人から相談を受けていて...後日電話がかかってくる。
と、客観的に見たらサイコロ4回振って、4連続で6が出るような"奇跡的"確率なんですが、
こういうパターンって、わりと多くの人が経験していると思います。
ただ、普通にやっていたら頻発はしません。たぶん、一人当たりに割り当てられた"奇跡"というのは、
総量として限界があるのだと思います。
でも、ここにスタッフが入ってくると割り当てが変わり、"奇跡"に確率変動が起こったりするんですよ。
しかもそれは、共有すると、分散せずに増幅します。
だんだん、うさんくさい話になってきたので、実話で例を出しましょう。
あるセミナーイベントで、僕が登壇しました。
その講義を聞いて感動してくれたウェブディレクターがいました。
この時点で、このディレクターと僕らは面識ゼロです。
で、彼はある案件で、若手の女性ライターを探さねばならなくなります。
そこで、知人に相談しました。その知人は僕の仕事仲間のカメラマンでした。
だんだん話が繋がってきます。
カメラマンはそこで『Rockaku』の名前を出します。
ウェブディレクターは「マジすか!?」となります。
で、僕に連絡がきます。そこに若手女子であるまるやまがいて、スッと仕事が決まりました。
これはぼくとまるやま、2人分の割り当てがあって、はじめて結実する複合的な"奇跡"です。
なんだかんだと4000字以上も書き連ねてきましたが、独立した後、人を雇っていっしょに仕事をすることって、
そういうことなんだと思います。
きっと、1人の方が身軽です。自由です。
責任も背負わなくて良いかも知れません。でも、1つの選択として、仲間を増やすしていくってのも、
十分に"アリ"なんじゃないでしょうか。
さあ、僕たちはこれから、どんなスタッフを迎え、どんな"奇跡"が起こせるのか・・・
ワクワクしながらこの会社を育てていきたいと思っています。