独立してよかったこと(大昔の日記・加筆)

会社員時代、そうとうにできなくて、
もの凄く苦しんだ代理店の案件があった。
それはもう、トラウマ級にしんどかった。

で、いま、それと同等か、
それ以上の難易度の案件を、
わりと普通に1人でやってたりする。
相手は「トラウマ」と同じ系列の代理店。
評判も悪くはない(と思う)。


ここで、素直に喜んでおけばいいのだけれど、
どうしても考えてしまうことがある。


「なんで、自分は会社という環境で、
 うまく立ち回れなかったのか」


・・・この1年半、常に検証を続けてきた問題だ。
で、結局、責任逃れ的な思考と、
無駄なプライドのせいだったんじゃないかと思うに至った。


こんな仕事のせいで。
こんなクライアントのせいで。
こんなデザイナーのせいで。
こんな代理店のせいで。
こんな会社のせいで______


自分はもっとできるはずなのに。
どこか他にもっと上手く動ける会社がある。
自分を評価してくれる会社がある______


自覚なんて無かったけど、
たぶん、そうやってへこたれていったのだと思う。


これじゃあ生じたエラーの分析に至ることなんてできない。
無担保の希望的観測と、
無根拠のプライドが両足にからみついて、
前に進めない状態が続いていたのだと思う。


でも、最終的にはそんな希望的観測も朽ちて、
クソみたいなプライドも風化して、
足下には何にも残っていなかった。
かつて無いほどに「空っぽ」な挫折。
結局、そこで一度"廃業"に至ったわけである。


正直、それでよかったと、心から思う。

僕は本当に謙虚になった(あくまで以前よりという話ですが)。
下らんことで怒らなくなった。
目の前の問題に肉迫して考えることを覚えた。
モノゴトをシンプルに整理する習慣と技術が身に付いた。
自分を壊さない範囲を見極めるキャパができた。


いっぺん粉みじんになったから、
わりと適確な再構築ができたのだろーなあと。
まあ、そんな風に思ってしまうウチは、
まだまだ余計なプライドがあるのかもなあ。
なんて。


コピーという呪術。

言葉は、ある一定のモノゴトにつけられる定義だ。
その最たるものは名前。

夢枕獏の陰陽師(漫画だけど)で、安倍晴明は、
ものにつけられる名前を定義づけて「呪(しゅ)よ」と言う。
すなわち、一定のかたちを縛る、理(ことわり)のようなものだ。

コピーって、ある種、それと同じなんじゃないだろうか。

・おはようからおやすみまでくらしをみつめる(ライオン)
・あしたのもと (味の素)
・味ひとすじ (永谷園)
・うまい、やすい、はやい (吉野家ディー・アンド・シー)

企業が掲げるキャッチコピーや、コーポレートメッセージは、
マーケティング用語で、「ブランドプロミス」ともよばれる。
生活者に対し、そのブランドが約束するベネフィット。
つまりは"縛り"であり、"理"である。

で、Rockakuだ。
「時間と約束を守る」。
多くの同業者から評価されつつも、
「なかなか無茶な看板掲げてるねえ」とも言われている。

運営してみて感じること。
それはまさに「呪い」だった。

メールのシグネチャには必ず「時間と約束を守る〜」が入るのだ。
Rockakuというブランドにとって、守らなければいけないプロミス。
だから、締切はどんなことをしても守るし、
守れない約束はしないようになった。
つまり、僕はコピーに縛られたワケである。

コピー。
ある意味、現代の呪術がここにあったりする。


原点から今日も変わらず

僕が絵描きとかモノカキといった、
そういう仕事を目指すきっかけになったのは、
中学生時代、授業中に回して遊んだ
手紙(のようなもの)だった様に思う。


勉強は中の中。
見た目も冴えず、背も低く、
運動も苦手で、協調性もイマイチ。


特に突出した能力もないわりに、
自己顕示欲の強かったモリタ君は、
ある日、「苦しみのカタチ」という作品を、
授業中に発表した。


これは、腹痛を起こし、数々の障害を乗り越え、
やっとの思いでトイレに駆け込み、用を足し、
ホッと一息ついた瞬間に、
「紙がない」という事実に直面したという一連の災難を、
「苦しみの折れ線グラフ」で表現した大作だった。


これは中学生にしてみれば捨て身のネタだったが、
狙い通りの大ヒットだった。

勉強ではかなわないナガイ君や、ナカガワ君、
ミヤモト君たちが、モリタ君に一目置くようになった。


頭があんまりよくなかったモリタ君は、
「ほめられる快感」にあっさりと取り憑かれ、
そこから徐々に、ショートショートのまねごとや、
一コママンガ、教師の似顔絵など、
様々な手法に手を染めていった。

で、深く考えず美術大学に入り、
雑誌をつくり、広告をつくり、WEBをつくっている。


さっき、クライアントから電話があり、
「例の企画書、面白いですね。
 おかげでスムーズに進みそうですよ。
 ありがとうございます!」
ってなことを言われて、普通に浮かれる自分をみつけた。

全身が軽くなる。
もやもやがすっと晴れる。
モチベーションが膨張する。


そう。このお馬鹿さんは、
この15年間、あんまり変わっていないのだ。
自分の単純さに、
なんだか少しあきれたけど、
なんだか安心したりもした。


攻撃と正論の経済価値


「攻撃と正論には生産性がない」


これが我がへっぽこ事務所の社(?)訓です。
僕はそう肝に銘じて仕事をしています。
だって、敵を増やしたって一銭にもならないし、
相手にも自分にもストレスがたまるだけですもの。

ストレスを与えてくる相手に、
わざわざ仕事と金を用意してくれる人はいません。


これは僕が本来、非常に攻撃的で、
やたらと正論を言いたがり、
人をやりこめる事に快感を
感じてしまう類の人間だから、
「自戒も込めて」という意味もあります。


相手の気持ちや状況を察する努力をせずに、
気分を害してまで成し遂げるべき事は少ないと思います。
同時に、成せることも多くはないはずです。

これは決してキレイ事ではなくて、
小なりとはいえ、ひとつの事業を動かして得た、
数百万円という実利益を伴った「実感」です。


「気づかい」


僕はあらゆる商談、プレゼンでこの言葉を使います。
会社を辞めて、自分のスタイルを追求しはじめて、
最初に手に入れた手がかりが「気づかい」でした。


なぜそのコピーが必要なのか。
なぜこの構成でなければいけないのか。
なぜコンテンツを絞るのか。
なぜこのデザインがそうなるのか。


以前の僕は、その「なぜ?」の中に、
専門的で特別な理論があると信じて疑わず、
闇雲に勉強をしていました。
勉強して、経験を積めば、
「何か特別な法則が手に入る」と思っていたんですね。


しかし、そんなものはとうとう手に入らなかった。
手に入らなかった結果、僕はぼろぼろになって、
コピーライターという仕事さえも放棄しました。

で、己が学んできたことを嫌悪し、
理論をすべて放りだしたときに、
はじめて見えてきたのが「気づかい」でした。


すべては読む人、使う人、享受する人にとって、
「親切であるかどうか」・・・それだけだと思います。

でもそこには、精度の高い「想像力」が必要になります。
「創造」ではなく、あくまでも「想像」です。
相手のことを正確に思い浮かべることから、
すべてがはじまります。

正確に「想像」を進める中で、
相手の喜ばせ方、驚かせ方が生まれてきて、
そこからようやっと「創造」がはじまります。

ぐるっと回って、この作業こそが、
かつての僕が求めていた「特別な理論」に
相当するものだと言うことが、
ようやく見えてきた今日この頃です。


「人間は、みんな面倒くさがりだ」と、考えてみる。

かつて、古谷実がマンガの中で「人類最大の敵は面倒くさいだ」と
いうようなことを書いていた。

広告屋の使命は、この「面倒くさいを倒す仕掛け」を
作ることにあるのではないか。
と、最近よく思うようになった。
(面倒くささ=マーケでは"障壁"とも言いますね)


「ものを買う」
「どこかに出向く」
「フォームを埋めてクリックする」

...これら消費行動すべてが、生活者にとって
「面倒なこと」だと仮定して、
我々のスキルはその「面倒くささ」を超える
「理由」を作るために在るのだと、そう思うのだ。

ともすれば、至極当たり前の話ではあるけれど、
制作者がこのことをわかっていないが故に、
無駄打ちになっている広告は世にごまんとある。


「何県にあるか所在がわからない温泉地の中刷り広告」
「会社概要・IR情報がどかーんと目立つ物販サイト」
「インパクトだけのCM」
「店の位置を全く伝えていない看板」

こんな広告が、「面倒くささ」に太刀打ちできるわけがない。


昼寝しているいるおばちゃんが、起きあがって店に行く。
多忙なビジネスマンがスポーツクラブに入会する。
携帯電話に無頓着なコピーライターがMY割に加入する。

これらすべてに必ず「理由」があるはずなのだ。
難しい話ではない。
自分の行動を一つひとつ見直していけば、
その仕組みは解き明かされるはずだ。


って、小難しい話を書いちゃいましたがね、
面倒くさがりな自分が、わざわざauショップまで行って
MY割入っちゃったわけなんですよ。
果たして、その「理由」がどこにあったのか。
コレは考えどころですよ。ええ。

検証1)CMとしてさほど気になる存在じゃなかった。
検証2)しかし、間違えなくCMで知った。
検証3)料金プランなんて気にしたこと無かった。
検証4)しかし、すっと加入してた。


特筆すべきは、CMのディテールを全く見ていないにもかかわらず、
MY割の特徴をつかんでいたところにある。
つまり、圧倒的に理解しやすく、理解の先には「加入の理由」となる
「お得感」もしっかりと仕掛けてあったわけだ。

「理解しやすさ」と「何を理解させるか」。
実は、こんなに単純なコトが、広告施策のコアだったりする。

あ、いやいや、
別に仲間由紀恵のファンだとか、そう言う話じゃなくてね。