いとおもしろきにほんご

ネーミングの仕事のヒント探しに、
古語とか、古典建築とかの本を読んだりしている。
その中でちょっと面白かったのが「間」と「かげ」だ。

「間」とは、日本人の空間・時間認識の中で、
非常に特徴的なモノらしい。
「間」には、何も置かれない。
芝居なんかでも、「間」には沈黙が挿入される。
でも「無」とは明らかに違う認識がそこにはある。
物質的な存在ではない「存在感」を配置するような行為なのだ。

あと古語の「かげ」。
辞書によれば現代語での意味はなんと「ひかり」だ。

別に読んだ文献によれば、
日本の古い家屋は暗いため、
窓やロウソクで「ひかり」を取り込む。
しかし、部分的に濃くなる「ひかり」は「かげ」を際立たせる。
そこには日本人独特の空間認識があったりするそうだ。
なんだか古語辞典の意味にも合点がいく。

日本語を使うことを生業としている身ながら、
素直に「おもしれー」と思った。


コピーライターが「広告」を離れる日

最近、仕事をしながら感じ取った「空気感」みたいな話ではあるけれど、
レガシーな意味合いでの広告業界が、
キケンな状況であることはヒシヒシと伝わって来ている。

そして、コピーライターの仕事はもう、
多くは残されていないんじゃないかとさえ思える。


かつての金鉱だった「広告」という山は、
もう、疲弊して、すっからかんに近い状況...なんて言ったら、
言い過ぎだけど、もはや大広告会社の一部の人間くらいしか、
純度の高い金脈を握ることなんて出来ないかも知れない。
じゃあ、名も無き採掘者である多くのコピーライターたちは、
いったいどこへ行くのだろうか。

不況で企業の広告費がカットされているなかで、
中小の制作会社がつぶやくのは、
「景気さえ回復すれば...」なのかも知れないけど、
一度崩壊したものは、景気と関係なく、
元のようには戻らない様な気もする。

や、遠回しな言い方は止めよう。
下がった(下げたとも言うけど)単価はそう簡単にもどらねえっっっっ!


これから先、創立10年くらいの制作会社は、
相当に厳しいのではないだろうか。
10年前の業界を知っていて、
10年前のやり方をベースにしているというのは、
なかなかに厄介だと思う。

現在が異常で、過去が正常。
だからいつか回復する。

今、閑古鳥の声を聞いている制作会社は、
そう信じているだろうけど、どーだろうか。

こちとら、100年に一度の不景気のさなか、海に放り出されて、
ビート板でこぎ出したような人間なので、
「そのうち元に戻る」なん発想がハナから無い。
というか、戻るべき「元」なんて、知りもしない。
出来ることは、とにかくバタ足を続けて、
生き残れる島と交易する手段を模索するだけだ。

おかげさまで、いい島がたくさん見つかって、
ビート板も、ようやっとポンポン船くらいにはなっただろうか。
自分で言うのもなんだけど、調子は悪くない。

で、気づくことは、僕が見つけた島には、
広告を求める人がほとんど無かったということだ。
広告よりももっと手前、根っこの方にある、メッセージをつくる力。
それが、交易のカギであるように思う。

カンヌでオバマのプロモーションチームがチタニウムを受賞したことは、
なんだか、時代をばっさりと物語っている。
いま、コピーライターという技術者が生き残るカギは、
広告という鉱山から離れて、ものを考え直す所にあるような気がする。

ある時はWEBの情報設計に携わり、
ある時はクライアントのセールスマニュアルに関わり、
ある時は経営者直轄の相談役を務め、
ある時はデザイン事務所のストレージとして立ち回る・・・


本気で食えなかった頃、自分の技術の応用と換金のことばっかり考えて来たから、
もはや節操なんてものは持ち合わせていない。
少なくとも、僕はそうしてしか生きられなかったし、
実際、そうして生き延びてきた。


矛盾しているようだけど、「伝える」という職能として、
コピーライターは大きなアドヴァンテージを持っている。
技術としての価値は突出していると言えるし、
他の職種に簡単になめてもらっては困るのだ。

むーん。結果論ではあるけどさ、
無名のコピーライターが広告から離れて、
独自の道を歩めるスキームをつくることが、
Rockakuの通ってきた道だし、今後の展開のカギなんだと思うんですよ。

まだ内緒だけど、1年以上かけて、じっくりと準備してきたことが、
ようやく実を結びそうな状態にあります。

最高に地味で、実は新しい。
コピーライターが生き残る道を、僕はつくりますぜ。

(まとまりの悪い長文だなや)